「聞く」ということ

 今日は、Facebookのつながりでお声かけいただいて、とある講座に参加しました。

 「【公開講座】聞き上手さんになろう!~わずか15分からみえてくる世界」というもので、橋本久仁彦さんという講師を大阪から迎えての講座で、主催なさっていたHさんが「平日の昼間に設定したので、いったいどのくらい来てくれるかわからないから」とメッセージをよこしてくださったのが直接のきっかけではありましたが、講座のタイトルに惹かれたのも事実。

 聞いているつもりでも、いかに相手の話を聞いていないか、もしくは自分のフィルターをかけて聞いているのか、ということに気づかされたし、いわゆるハウツーモノの講座ではなく、人間が昔から持っている生存本能と照らして、「生きる方向」にむけるのか、「殺す方向」にむけるのか、ということを意識しながら言葉を発せなくてはならないことや、それは相手の反応を「視る力」を養うことでもある、という話でした。

 相手の話を聞くというのは、相手を認める立場で相手に寄り添い、肯定するなら、それは「生きるエネルギー」を引き出せるし、もし正しくても、いちいち相手の言うことを否定したり訂正したりするような聞き方では、前向きなエネルギーを殺す方向に作用してしまう、というわけです。

 また、相手の発した言葉をそのまま返したら、相手は自然な受け止めになるものが、もし、相手の言葉を自分流に解釈して返したら、「呼吸が止まってしまう」という作用があるという実験がありました。それは、やってみると本当にその通りでした。

 これは文章で書いてもなかなか伝わらないことなのですが、お話を聞いていて共感できるのは、「ウソのない気持ちから出た言葉は説得力を持ち、空気を熱くさせる力がある」ということ。それはよく痛感することです。どんなに言葉が上手でも、上っ面だけの話にはみんなの心が集中しないのに対し、たとえ流暢でなくとも、その人の心からの言葉には、聴き手の顔を上げさせ、集中させる力がある、と思います。
 同時に、その人に寄り添っていようと思って聞くか、聞き流しておこうと思って聞くか、その態度によっても、空気が変わるのは当然です。

 自分がどんな風に生きて行きたいのか、相手とどういう関係でいたいのか、ということが、話すにしろ、聴くにしろ、意識せざるを得ないことだと思いました。

 めったにない機会でしたので、ここで得たことを日常のいろいろな場面で生かしていきたいものです。

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