水害現場の視察~久保泉・金立地域
夕方、久保泉の地域の支部の方から、先日の豪雨による水害の現場を案内するから、見に来てほしい、との電話が入り、さっそく出かけました。
この前の水曜日に1人で行った時には、あまりよくわからなかったところもふくめて、2時間ほどかけて案内していただきました。
久保泉の宮分では、通行止めになっている道
路の先に歩いて行くと、河川沿いの道路が流されて陥没している場所がいくつもありました。
1週間たっても、まだその爪痕は激しく、土曜の夕方というのに、建設業者の方たちが測量をなさっていました。
そこは、S字に曲がったように道路が大きく断裂していて、復旧にはしばらくかかりそうだとのことでした。
路面には、まだ砂や泥がこびりついていて、増水の時の流れの激しさを物語っていました。
その先に公民館があるのですが、ここも浸水したようで、畳が上げられていました。その近所の方が犬の散歩をしてらしたので、話しかけてみると、とにかく膝より上までみずが上がってきて、ご自分の家は床下浸水だったとのこと。
さらに、その後近所の方に話を聞くと、かなり高めた玄関の淵まで水が上がってきて、「とにかくみるみるうちに水が上がってきてこわかった。避難勧告が出されたのは、水が上がってからで、もう動けない状態だった」とおっしゃってました。
また、そのお向かいの家の方を救出するのに、道路が川のようになっていて横切れないので、消防団でロープを渡して、そのロープ伝いに道を渡ってもらった、ということもおっしゃってました。
さらにその近所の方は、「55年住んでいたが、こんな水が来たのは初めてのこと。「28水」(昭和28年の水害で佐賀県内としては最大の水害)の時でもこんな水はこなかった。うえに高速道路ができたりして、山の水の流れが変わったんだと思う。ひどい目に遭った」と、水浸しになったあとの倉庫の片づけを1週間経った今もなさっていました。
上分という地域では、清友病院とライフエ
イドという介護施設が川沿いにあるのですが、裏山のがけ崩れなどの被害がないかと心配していましたら、それは大丈夫で、むしろその上流の道路が崩落していました。
また、近くの建設会社では、作業倉庫が激流の直撃をうけ、1・8トンの土嚢を一杯並べても、それを水が超えてきたそうです。そこら一帯が川になってしまったとのこと。また、このお宅の庭も陥没していて、下を見ると川が流れているので、かなり怖い感じでした。
また、金立の養護老人ホーム向陽園の先にのびた道路では、橋が流されていて、コンクリートの土台部分だけがしっかりしていますが、道路が断裂していまして、橋の役目を果たしていません。それでも地元の方が自転車を抱えながら橋を渡っていかれたのをみかけ、「なんとたくましい・・・・」と驚いてしまいました。
そして、この間、全国ニュースでもとりあげられていた金立川の堤防の決壊現場にも行きました。川が堤防を越えて、約2町の水田がすっかり泥だらけになってしまっていました。
これらの被害の復旧が一刻も早く急がれます。
議会としても、今度の水曜日に農業被害の調査に経済企業委員会として出向くことになっています。
橋のそばの護岸が崩れていて、下に大きな柱のような石がふさぐようにつまっています。
この「通行止め」の看板の先では大変な状態になっていました。
看板の左手を川沿いに行くと、いきなり道路が断裂して流されていました。護岸断面と道路が、まったくずれてしまっていました。
道路の下に下りて写したところ。
さっきの「通行止め」看板の先を歩くと、こういうことになっていたのです。建設業者の方が測量中でした。「赤い線から外は歩かないでください、危ないですから」と声をかけられました。
本来の道路が左右で崩れていて、まるでS字カーブを描いているようです。
生活道路なので、1日も早い復旧が望まれます。
川の水が上がってきたあとで、1週間たっても、道路には砂や土がこびりついたままでした。
白髭神社に続くこの先の道路は、まるで砂浜のように砂だらけ。
宮分地域の公民館。「避難しなさいと言われたけど、ここも水に浸かって、避難どころじゃなかったさい」と近所の方。畳が上げられていました。
宮分公民館の近所の方。「膝の上まで水が来たばい」 公民館のとなりの敷地では砂浜のようになっていました。
同じく、公民館の近所の方のお宅では、あっという間にこの玄関先まで水が上がってきたそうです。避難勧告が出たときは、すでに道路は川のようになり、「ロープを渡して伝ってこんば、とても道は横切れんごたった」とのこと。
白髭神社の横を流れる川の護岸も崩れていました。
上分の清友病院の先にある、ある小さな建設会社のそば。左側が会社の作業倉庫ですが、かなり底の深い川にもかかわらず、増水した激流が襲ってきたそうです。向かい側の護岸のえぐれ方で、わかると思います。
この道路も川のようになり、右手に積まれた大型の土嚢を超えて水が家屋を襲ったとのこと。右手に流れる川の水は、この道路を越して、左側に広がる畑も襲いました。
建設会社のお宅の庭も案内してくださいましたが、庭の護岸が陥没して、川が見えるという空恐ろしい状態になっていました。
清友病院の先のカーブを越したところで、道路が崩落していました。ガードレールがぶら下がっていて、無残。高所恐怖症の人はのぞけないような川底がすぐそばです。
写真ではわかりにくいかもしれませんが、右手に黄色く見える棒状のものは、電柱です。根こそぎ倒れて、川の中にありました。
川の向かい側の圃場の一部が崩れているのが見えたので、ズームで撮ってみました。
金立の養護老人ホーム「向陽園」の先の市道を行くと、「通行止め」の看板。この先を歩いていきますと・・・・。
小さな河川ですが、橋の護岸が崩れ、端も断裂していました。
橋の向こうから来る赤いシャツの方は、自転車でどうされるかと思ったら、なんと自転車を担いでわたって来られました。地元の方はたくましい!
橋脚の部分はしっかりしていたようです。
全国ニュースでも流れていた、金立川堤防の決壊の現場にも行きました。
金立川と黒川の合流地点のすぐ上の堤防が決壊したということです。
手前の濁って草がなぎ倒されているほうが金立川、向こう側が黒川で合流して巨勢川に。
堤防が決壊して、溢れた川の水は、近くの水田を襲いました。すっかr泥に埋まった水田の収穫は見込めません。
この前の水曜日に1人で行った時には、あまりよくわからなかったところもふくめて、2時間ほどかけて案内していただきました。
久保泉の宮分では、通行止めになっている道
路の先に歩いて行くと、河川沿いの道路が流されて陥没している場所がいくつもありました。1週間たっても、まだその爪痕は激しく、土曜の夕方というのに、建設業者の方たちが測量をなさっていました。
そこは、S字に曲がったように道路が大きく断裂していて、復旧にはしばらくかかりそうだとのことでした。
路面には、まだ砂や泥がこびりついていて、増水の時の流れの激しさを物語っていました。
その先に公民館があるのですが、ここも浸水したようで、畳が上げられていました。その近所の方が犬の散歩をしてらしたので、話しかけてみると、とにかく膝より上までみずが上がってきて、ご自分の家は床下浸水だったとのこと。
さらに、その後近所の方に話を聞くと、かなり高めた玄関の淵まで水が上がってきて、「とにかくみるみるうちに水が上がってきてこわかった。避難勧告が出されたのは、水が上がってからで、もう動けない状態だった」とおっしゃってました。
また、そのお向かいの家の方を救出するのに、道路が川のようになっていて横切れないので、消防団でロープを渡して、そのロープ伝いに道を渡ってもらった、ということもおっしゃってました。
さらにその近所の方は、「55年住んでいたが、こんな水が来たのは初めてのこと。「28水」(昭和28年の水害で佐賀県内としては最大の水害)の時でもこんな水はこなかった。うえに高速道路ができたりして、山の水の流れが変わったんだと思う。ひどい目に遭った」と、水浸しになったあとの倉庫の片づけを1週間経った今もなさっていました。
上分という地域では、清友病院とライフエ
イドという介護施設が川沿いにあるのですが、裏山のがけ崩れなどの被害がないかと心配していましたら、それは大丈夫で、むしろその上流の道路が崩落していました。また、近くの建設会社では、作業倉庫が激流の直撃をうけ、1・8トンの土嚢を一杯並べても、それを水が超えてきたそうです。そこら一帯が川になってしまったとのこと。また、このお宅の庭も陥没していて、下を見ると川が流れているので、かなり怖い感じでした。
また、金立の養護老人ホーム向陽園の先にのびた道路では、橋が流されていて、コンクリートの土台部分だけがしっかりしていますが、道路が断裂していまして、橋の役目を果たしていません。それでも地元の方が自転車を抱えながら橋を渡っていかれたのをみかけ、「なんとたくましい・・・・」と驚いてしまいました。
そして、この間、全国ニュースでもとりあげられていた金立川の堤防の決壊現場にも行きました。川が堤防を越えて、約2町の水田がすっかり泥だらけになってしまっていました。
これらの被害の復旧が一刻も早く急がれます。
議会としても、今度の水曜日に農業被害の調査に経済企業委員会として出向くことになっています。
橋のそばの護岸が崩れていて、下に大きな柱のような石がふさぐようにつまっています。
この「通行止め」の看板の先では大変な状態になっていました。
看板の左手を川沿いに行くと、いきなり道路が断裂して流されていました。護岸断面と道路が、まったくずれてしまっていました。
道路の下に下りて写したところ。
さっきの「通行止め」看板の先を歩くと、こういうことになっていたのです。建設業者の方が測量中でした。「赤い線から外は歩かないでください、危ないですから」と声をかけられました。
本来の道路が左右で崩れていて、まるでS字カーブを描いているようです。
生活道路なので、1日も早い復旧が望まれます。
川の水が上がってきたあとで、1週間たっても、道路には砂や土がこびりついたままでした。
白髭神社に続くこの先の道路は、まるで砂浜のように砂だらけ。
宮分地域の公民館。「避難しなさいと言われたけど、ここも水に浸かって、避難どころじゃなかったさい」と近所の方。畳が上げられていました。
宮分公民館の近所の方。「膝の上まで水が来たばい」 公民館のとなりの敷地では砂浜のようになっていました。
同じく、公民館の近所の方のお宅では、あっという間にこの玄関先まで水が上がってきたそうです。避難勧告が出たときは、すでに道路は川のようになり、「ロープを渡して伝ってこんば、とても道は横切れんごたった」とのこと。
白髭神社の横を流れる川の護岸も崩れていました。
上分の清友病院の先にある、ある小さな建設会社のそば。左側が会社の作業倉庫ですが、かなり底の深い川にもかかわらず、増水した激流が襲ってきたそうです。向かい側の護岸のえぐれ方で、わかると思います。
この道路も川のようになり、右手に積まれた大型の土嚢を超えて水が家屋を襲ったとのこと。右手に流れる川の水は、この道路を越して、左側に広がる畑も襲いました。
建設会社のお宅の庭も案内してくださいましたが、庭の護岸が陥没して、川が見えるという空恐ろしい状態になっていました。
清友病院の先のカーブを越したところで、道路が崩落していました。ガードレールがぶら下がっていて、無残。高所恐怖症の人はのぞけないような川底がすぐそばです。
写真ではわかりにくいかもしれませんが、右手に黄色く見える棒状のものは、電柱です。根こそぎ倒れて、川の中にありました。
川の向かい側の圃場の一部が崩れているのが見えたので、ズームで撮ってみました。
金立の養護老人ホーム「向陽園」の先の市道を行くと、「通行止め」の看板。この先を歩いていきますと・・・・。
小さな河川ですが、橋の護岸が崩れ、端も断裂していました。
橋の向こうから来る赤いシャツの方は、自転車でどうされるかと思ったら、なんと自転車を担いでわたって来られました。地元の方はたくましい!
橋脚の部分はしっかりしていたようです。
全国ニュースでも流れていた、金立川堤防の決壊の現場にも行きました。
金立川と黒川の合流地点のすぐ上の堤防が決壊したということです。
手前の濁って草がなぎ倒されているほうが金立川、向こう側が黒川で合流して巨勢川に。
堤防が決壊して、溢れた川の水は、近くの水田を襲いました。すっかr泥に埋まった水田の収穫は見込めません。




































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