【看護学生が「平和の火」リレー】
佐賀の看護学生が福岡の小倉から長崎までの「平和の火」リレーを続けているとのこと。
「平和の火」は広島原爆の残り火を持ち帰った星野村出身の山本達雄さんが、当初「恨みの火」として自宅の火鉢やこたつで密かに保っていたものを、「恨みで平和は戻らない」として、1968年に星の村役場に寄贈したものです。
以来、星の村役場には「平和の火」として塔が掲げられていましたが、この火を1988年の第3回国連軍縮特別総会に運ぼうというキャペーンで、国民平和大行進の時にも平和の火を掲げて歩いたのを覚えています。当時、原水爆禁止運動の佐賀市の事務局にも携わっていたのですが、行進の先頭に視覚障害の方が歩かれるなど、幅広い運動となっていて、そういう運動の積み重ねが今の核兵器禁止国際条約に実ったのだと思います。
ただ、既存の平和団体の運動だけでなく、いろいろな形で平和を語り継ぐ取り組みが草の根のように広がっていることは、より大切なことだと思います。
毎年おなじみの高校生平和大使の署名運動とともに、未来を担う若い世代の方々の頑張りに希望がひらける思いです。
→https://www.saga-s.co.jp/articles/-/900618

#核兵器廃絶
#原爆の残り火
#福岡県八女市
#星野村
#平和の火リレー
#ナイチンゲール平和の灯リレー
#小さな平和運動連絡協議会
#戦争を語り継ぐ
「平和の火」は広島原爆の残り火を持ち帰った星野村出身の山本達雄さんが、当初「恨みの火」として自宅の火鉢やこたつで密かに保っていたものを、「恨みで平和は戻らない」として、1968年に星の村役場に寄贈したものです。
以来、星の村役場には「平和の火」として塔が掲げられていましたが、この火を1988年の第3回国連軍縮特別総会に運ぼうというキャペーンで、国民平和大行進の時にも平和の火を掲げて歩いたのを覚えています。当時、原水爆禁止運動の佐賀市の事務局にも携わっていたのですが、行進の先頭に視覚障害の方が歩かれるなど、幅広い運動となっていて、そういう運動の積み重ねが今の核兵器禁止国際条約に実ったのだと思います。
ただ、既存の平和団体の運動だけでなく、いろいろな形で平和を語り継ぐ取り組みが草の根のように広がっていることは、より大切なことだと思います。
毎年おなじみの高校生平和大使の署名運動とともに、未来を担う若い世代の方々の頑張りに希望がひらける思いです。
→https://www.saga-s.co.jp/articles/-/900618
#核兵器廃絶
#原爆の残り火
#福岡県八女市
#星野村
#平和の火リレー
#ナイチンゲール平和の灯リレー
#小さな平和運動連絡協議会
#戦争を語り継ぐ