【議員有志発案で障がいのある方々との意見交換会@市民活動プラザ】

 今日の午前中に、障がいのある方々と行政、議員有志との意見交換会が開かれ、私もお声掛けいただいて参加しました。
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 これは自民市政会の平原嘉德議員が会派を超えた議員に呼びかけて実現したものです。


 実は、私も昨年9月議会の一般質問で、バリアフリーの街づくりを進める上で、施設や道路などの整備をする際に、できてしまってからではなく、できる前に障がいを持つ当事者の方たちから意見を聞く場を持つべきだと求めていました。
 その時の答弁では、各障がい者団体の総会などに市から出席して意見交換をしているとのことでしたが、私は「障がいの種別や程度によってバリアーになることは違ってくる。各団体別ではなく横断的に障がい者同士もお互いに理解し合える場、自由にまちづくりについて意見を言える場を年に1度でも設けるべきではないか」と提起していました。
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 その後の11月議会で、今度は平原議員がバリアフリーをテーマに質問した中で、やはりバリアフリー推進協議会の設置や障がいを持つ当事者の意見を聞く場を持つべき、と提起され、私も我が意を得たりと思っていました。


 他にもバリアフリー関連の質問をする議員がおられることから、超党派で取り組みができたらいいと思っていたところ、年明けにそういう場を持とうと言う話が平原議員からチラリと持ちかけられていました。が、コロナ騒ぎで時が過ぎてしまったと言うわけです。


 今回、あらためて平原議員からお声掛けいただき、セッティングしていただいて、肢体不自由、視覚障がい、聴覚障がい、知的障がい、精神障がい、医療的ケア児、作業所関係、NPO団体、保護者の方など幅広い当事者のみなさんと市役所の担当課が一堂に会して話を聞かせていただく場が設けられました。


 市役所の担当課としては、障がい福祉課、福祉総務課、消防防災課から10名と、前障がい福祉課長(現在は総務法制課長)が「障がい福祉課に6年在籍していて3月までに開かれていたら、自分も前に座る立場だったので」と後ろの方で参加して頂きました。


 議会からは、平原議員、白倉和子議員(さが未来)、山口弘展議員(自民市政)、重田音彦議員(自民市政)、西岡真一議員(自民さが)、富永明美議員(社会市民クラブ)、そして私・山下明子(市民共同)の7名が参加しました。


 平原議員が進行を務め、出席議員を代表して私もご挨拶させていただきましたが、参加者の自己紹介以外は議員は聞き手に徹しました。
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 最初の40分くらいで佐賀市のとりくみの説明がなされたあとは、次々と質疑応答やご意見、ご提言、ご要望などがそれぞれの立場から出され、お互いに理解を深めたり気づきを得ることのできる有意義な場となりました。
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 施設や道路のバリアフリー化の問題、パーキングパーミット制度の課題、災害時の避難の問題、重度身障者医療費助成制度の現物給付化(病院での窓口無料化)、移動支援、発達障害児の学習支援、障がい児・者の家族の支援のあり方、などなど多岐にわたっていました。特に、重度身障者医療費助成の現物給付については、障がいの種類を超えて何人もの方から繰り返し要望が出されていたのが印象的です。
 私も何度も議会で取り上げてきた事がありますが、これだけ切実だということがあらためて行政担当者や保守系の議員にも伝わったと思いますし、本当に良かったと思います。
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 そして、この場で終わることなく、こうした機会を今後とも継続してほしいというご意見も数多く出されましたし、私たちもこれを活かして議会全体の取り組みにつなげていけたらと思います。



 予定していた2時間を大きく超えて12時半近くになりましたが、「もっと時間がほしい」「あっという間だった」と終了後も立ち去りがたい人々の交流が続きました。

#障がいのある方々との意見交換会
#垣根を超えた横の連携
#議員も超党派で
#バリアフリーの取り組みには当事者の意見を
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【マリー・アントワネット最後の日々〜フランス革命は女性を解放しなかった】

 7月3日放送のEテレで「マリー・アントワネット最後の日々」(「ドキュランドヘようこそ」)というドキュメンタリー番組を観ました。
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 新たな資料に基づいて、ドラマと研究者のインタビューで構成されたもので、ロベスピエールの恐怖政治につながっていく流れやまともな証拠も示されないままの「死刑の結論ありき」の暗黒裁判など、いわばフランス革命の負の部分もあぶり出されていました。


 国内で革命が燃え上がる一方で国外からはオーストリアが攻め入ろうとするなど、政治が安定しないもとで多くの国民が飢餓に喘ぎ、ロベスピエールら革命政府に対する不満が沸きつつあったため、民衆の不満をそらすスケープゴートとして標的にされたのがアントワネットだったというわけです。


 革命裁判所の公判では、15名の陪審員も裁判長も革命政府に忠実な立場からの「公平公正」を標榜し、登場する証人がことごとく噂話の域を出ない証言でまともな証拠を示すことができない状況であっても、民衆の憎悪の感情が渦巻く中での裁判の結論はすでに決まったものとなっていました。 
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 マリー・アントワネットは皮肉にも革命政府に捕らえられて以降に王妃として目覚め、女性としても母としても強くなったと言われていますが、この公判を通してその様子を垣間見ることができます。


 劇画「ベルサイユのばら」9巻にも出てくる場面ですが、ロベスピエールのライバルであった急進派エベールが証人に立ち、アントワネットに対して幼い息子ルイ・シャルルとの「母子相姦疑惑」をでっち上げた時に、法廷内の全ての母親・女性たちに向かって母性からの抗議の声をあげます。それが女性たちの共感を呼び、後になってエベールは立場を悪くし処刑されることになります。
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 酷いのは、公判の最終弁論で、アントワネットの2人の弁護人がそれぞれ「感情ではなく法的に判断すべき」「まともな証拠は何ひとつ出されなかった」ということを最低限の言葉で(というのは、余計なことを言えば反革命のかどで逮捕されるから)弁護をしますが、弁論を終えたらただちに憲兵に連れて行かれる、という場面です。


 また、陪審員が最後に賛否を表明するのも非公開ではなく公開の場で一人一人発言させることによって、異論を唱えにくい仕組みを作っていたというのも恐怖政治のシステムだと紹介されていました。これはヒットラー政権、スターリン時代のソ連や中国の文化大革命、カンボジアのポルポト政権、などにも共通する姿だと思えます。
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 さらにこの番組の今日的な指摘として重要だと思ったのは、エベールの下衆なでっち上げの根底には、エベールが「女は家を守っていればいいのであって、政治にしゃしゃり出たり、家をほっぽり出して遊び歩いたりするものではない。あの女(アントワネット)を処刑するのは、全ての女たちへの見せしめなのだ」という思想があったことだという部分です。


 そして、それが証拠に、1789年10月には雨の中をずぶ濡れの女たち6千人が「パンをよこせ」「国王と王妃をパリへ」と押し寄せて、国王一家がベルサイユ宮殿からパリのチュイルリー宮殿に移されることなった「ベルサイユ行進」は富山の米一揆のように女性たちが立ち上がったものでしたが、アントワネット処刑のあと、それまでの女性政治サロンが閉鎖されたそうです。たしかにフランスにおいて女性参政権が実現したのは、意外にも日本と同じ第二次世界大戦後なのです。


 1789年のフランス革命が「自由・平等・友愛」を旗印にし、1830年の7月革命を描いたドラクロワの名画で民衆を率いるのが「自由の女神」であったとしても、実は女性の権利を奪い続けたままだったというフランス革命の限界と、女性たちのたたかいは今に続いているということを押さえておく必要があるとあらためて認識しました。


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