昭和64年1月7日の思い出~見逃した宝塚花組公演

昭和64年から平成元年になる最後の日、1月7日を30年前画像はどう過ごしていたか、という特集があちこちで組まれています。


私にも忘れられない日です。


またもや宝塚ネタになってしまうのですが、当時、大浦みずきさん率いる花組の「会議は踊る」を観に行こうと、仕事を終えたお友達と一緒に前日の6日から寝台車に乗り込みました。当時はけっこう深夜バスや寝台車を使って移動していたのです。

で、あかつきかみずほに乗っていたと思し召せ。


その数日間、天皇さんの病状報道がいろいろあって、そろそろ山場かもしれないという時期だったので、「お願いだからこの2日間は無事に乗り越えていただきたい」と思っていたのです。


ところが…。



6時過ぎに大阪駅に降り立ったら、なんだか街の雰囲気がおかしいではありませんか。


「もしや」と思ったら、ご逝去の報。


それでも、どうなっているかわからないからと列車を乗り継いで宝塚駅に着いたら、街では完全に半旗が掲げられ、宝塚ファミリーランド前には「本日は休演」との貼り紙がありました。


「せっかく佐賀から来たのにね…仕方ないとはいえ、ツライね~」と、現地で会ったヅカ友さんと合流して食事しながら慰めあったという思い出です。


結局、劇場の払い戻しもなく、スゴスゴと佐賀に戻ったのでした。新しい元号が「平成」になるというニュースも帰りながら知りました。残念ながらその後も「会議は踊る」は観ることができず、著作権の関係か映像に接する事も出来ないままでいます。


当時は、そういう事を何かに書くと「不謹慎だ」という方もありましたが、この度は30年前のいろいろな方のいろいろな瞬間という思いで語りがあちこちでなされてますから、その一環として振り返ってみました。


ただ、当時、「歌舞音曲の自粛」という事で世の中が暗いムードになっていたのに対して「これはおかしいのではないか」とコント集団「ザ・ニュースペーパー」が誕生したきっかけにもなっていったのも忘れられない事です。

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