わが懐かしの「パトリエ」出発(旅だち)コンサートが「お尋ね」の対象に!

 私は学生時代、立命館大学の合唱団「若者」というサークルに入って、合唱やうたう会、民舞、ダンスに明け暮れておりました。

 このサークルでは、いわゆる合唱だけでなく、「わらび座」の指導による民舞、キャンパスや地域に出かけて行ってのうたう会やうたごえ喫茶、夏には1週間ほどの『夏合宿』をするのですが、その合宿の最終日には必ず地域の人たちと力をあわせて「音楽祭典」を開くというミッションがあって、そのために大学が夏休みに入るよりも一足早く「先発隊」として先乗りして合宿先で学校や保育園、老人クラブ、音楽団体などとコンタクトをとって祭典を開くことについての協力を呼びかけるという大仕事があります。
 先発隊には1回生が5人ほど、先発隊長、副隊長には2回生の男女がなります。この正副隊長は先発隊より更に早くから先乗りするのです。
 
 私が2回生のとき、この先発隊の副隊長に「任命」されたのです。で、ギターのうまい隊長さんとともに、私はタンバリンを持って、あちこち訪ねては「京都市内の立命館大学の合唱団『若者』といいます。こんな活動をしています。こんな歌を歌うんです・・・・」と、時にはその場で歌ったりしながら、「みなさんも一緒に歌いませんか」と呼びかけました。

 やがて1回生の先発隊員がやってくると、組を作って街の中を歌ってまわったり、いろんな規模のうたう会をやっては祭典の宣伝をしたり、と大忙しです。手書きのポスターやチラシを作ることと出演者募集とを同時並行でやるのです、たった1ヶ月足らずで・・・・。
 でも、やれてしまうんですよね、不思議と・・・・。

 そして全団員がやってきたときには雰囲気が出来上がっているというわけです。全団員もグループに分かれて班ごとに街に出て歌を歌ったり「ソーラン節」や「秋田おばこ」「壁ぬり甚句」などを歌い踊って見せたり・・・と、、見知らぬ街でこういうことやるのは、かなり楽しかったのです。また、この合宿の間に「テーマソング」も創作するのです。

 そういう宣伝の結果、1週間の合宿の最終日にはとある学校の体育館をかりての音楽祭典が見事に開けました。
 街の商店街の方や親子連れ、おじいちゃん。おばあちゃんたちが150名くらいだったでしょうか、おいでいただきました。
 地元の地域の合唱サークルや子どもたちのうたなども交え、合唱団若者のステージでは、うたう会とともに秋の定期演奏会に向けた選曲の中からいくつか披露して、最後はみんなで祭典のテーマソングを歌い交わして感動の音楽祭典は成功しました。

 毎年、毎年、これを続けてきました。

 2回生のときに体験させていただいた先発隊、はじめはたった1ヶ月足らずで見知らぬの地域に行って祭典を立ち上げるなんてとても無理、と怖気づいていたし、人より早く休みに入ることへの焦りがあったり、と、嫌がっていたのですが、実際にやってみると、この経験がのちに今の私の活動にかなり役に立っているといえます。

 さて、前置きが長くなりすぎました。

 この先発隊で隊長・副隊長を組んだコンビで3回生になったときに小編成を組んだのです。
 この頃ももちろん宝塚ファンだった私は、宝塚花組のショー「ボン・バランス」という作品の中で、童話作家の小川未明の書いた「野ばら」という童話をモチーフにした「野ばら」というオリジナル曲を安奈淳さんが歌っていたのが大好きで、ぜひ、「若者」の団員にも聞いてもらいたいと思い、楽譜がない中で、聴き取りでギター伴奏を頼めそうな人を探していた相手が、その先発隊長だった「きしめん」君でした。

 宝塚のテープを渡して数日後、きしめん君は、立派にギター一本で伴奏を蘇らせてくれていました。それで、うたごえ喫茶や団内の発表会などで「野ばら」を披露しているうちに、小編成「野ばら」と言われてしまいましたが、ちゃんとグループの名前をつけて他の曲も歌おう、ということにしました。
 当時、とても尊敬していた先輩方が「パトーリア」というグループで活動なさっていたので、卒業されたあとにそれを引き継ぐような形でぱ「パトリエ」=フランス語で「祖国」という名前にして、それこそ、地域での母親大会、後援会まつりなどもふくめて、あちこちに歌いに行きました。
 今ではきたがわてつさんが歌ってスタンダードになっている「ヒロシマの有る国で」を作った山本さとしさんが、京都で開かれた12月集会(全国学生学術文化集会)のオープニング行事で「ヒロシマの有る国で」を披露した時に、同じステージで「野ばら」を歌ったのもいい思いでです。

 卒業するにあたって、せっかくだから解散コンサートをしよう画像、と思い立ち、卒論やなにやらあるというのに、同時進行で「パトリエの出発(たびだち)コンサート」に取り組みました。

 きしめんと私(アンドレ)で、それぞれ気に入った曲を出し合ってプログラムを構成し、楽譜のないものはテープから聴き取ると言う「野ばら方式」(!)でレッスンし、どうにか本番にこぎつけました。

 1984年3月11日(ああ、今思えば、3月11日!)日曜日の午後2時、立命館大学学生会館ホールで、「パトリエ出発コンサート」が無事に行なわれました。

 と、ここから記憶はすっかり飛んでしまうのですが、じつは先日、合唱団若者OBのメーリングリストの中で「お尋ね」として、「30年ほど前にパトリエの出発コンサートを聞いた者ですが、そのときに歌われていた「野ばら」と「愛は藍色」という曲が楽譜もなく、検索をかけてもひっかからないので、なんとか聞ける手立てがないか、なにか詳しいことをご存知の方がいないか、教えていただきたい」という通信があるのを見つけました。

 「あらまあ、まさしく、これは私たちのことだわ!」と、一気に懐かしさがこみ上げました。その方は他県の方らしく、どうしてパトリエのコンサートにおいでになったのかというのも知りたかったので、さっそく記されたアドレスにメールを送りました。
 昨日、その返事が来たのですが、どうやらその方は私より3学年下で、千葉大の「道しるべ」というサークルの方でした。たまたま、その日、全国の学生うたごえの総会が京都であるのでやってきて、パトリエのコンサートをご覧いただいたのだそうです。
 感激したのは、そのメールに、パトリエのコンサートのパンフレットの写真が添付してあったことです。手書き原稿の表紙の懐かしいこと!このおかげで、今までつらつらと書いてきたことが渦のように蘇ってきてくれました。

 ということで、この方には、当時のテープをダビングしてお送りすることになりました。

 29年の月日を超えて、蘇った「パトリエ」噺でございました。ここまでの徒然なる長文におつきあい頂き、ありがとうございました。
 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

ちくわ
2013年05月15日 21:36
若者 で検索してみたら ここにたどり着きました。
アンドレも お元気そうですねー!

この記事へのトラックバック