宮城県人会さがの例会~今日は震災から10ヶ月目

 今日、1月11日は東日本大震災から10ヶ月目に当たり画像ます。地震が起きた2時46分には議会で委員会があっていたので、すっかり頭からぬけていたのですが、そういう日常の中であの大地震と津波が起きたのだと思うと、本当に大変だったと思います。

 去年の12月26日に、ひょんなことから宮城にゆかりがあるよということで飛び入り入会した「宮城県人会さが」の1月例会が夜、市役所そばの「MURAHACHI」で開かれ、18人が参加し交流しました。
 基本はもちろん、宮城県出身の方が中心だと思いますが、代表の富田万里さんの呼びかけで、3.11の震災後に「ふるさとのために、できることは何でもしたい」という思いに共感し、宮城に住んだ事のある方も入れるという流れで参加なさった方もあり、「宮城にはつながりもなく、行ったこともないけれど○○さんとの結びつきで入った」という方もいらっしゃいました。

 私は、10月に塩釜地域にボランティアに入ったことと、仲間が7月、12月にボランティアに行き、今後も派遣していくことになるので、少しでも宮城県とつながっていたいという気持ちがあったことと、知人が仙台に住んでいて、毎年夏・冬に仙台銘菓「萩の月」が送られてくるので、身近な存在であるということを自己紹介で述べながら、息長く支援をしていけるようみなさんと力をあわせたい、と申し上げました。

 参加者の中には被災地から画像避難してこられた方もおられました。特に、多賀城市で首まで浸かるような津波に襲われたという青年は、友人を100人以上失い、ご両親の行方もわからない中で、むしろ地元にいるのが恐ろしく、離れていたいという思いから、「簡単には帰れないところ」として避難者受け入れ先をネットで探して佐賀県に移住してこられたそうです。
 被災の状況を聞いていたら、よくぞ生き残れた、という思いがしました。また、その青年は、「そうは言ってもやはり故郷への思いは断ち切れず、正月に多賀城に帰ったら、被災後、まったく消息がつかめず生死がわからなかった友人とばったり道で会って『生きていたのか!!』と喜び合った。死んだと思っていた友人の1人と会えた嬉しい年明けだった」とおっしゃっていました。

 また、私がお誘いした福島から避難して来られ、ご実家が石巻にあるという方も、今日、初参加されて、故郷のことを話し合える場ができたことを喜んでくださいました。

 宮城県人会さがでは、昨年、大和町でみかん狩りをして、石巻市雄勝町の仮設住宅にみかんを10箱送って喜ばれたという報告がなされましたが、そのきっかけとなった雄勝町出身の方は、「雄勝地域では350人以上が亡くなり、学校がなくなったとこによって、地域から子どもの姿が消え、残された大人たちの仮設住宅では最年少が56歳という状態の中で、みんなが笑顔を忘れていた。少しでも笑顔を取り戻せることができたら、と思っていたが、県人会のおかげ本当に喜んでもらえた」と仰っていました。

 2か月に一度の例会などを通じて、被災地に心を寄せていければいいという思いをさらに強くしました。

画像画像





















画像


画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

ずんだもち
2012年01月12日 20:11
まんずまんず、明子さん! 新年会のこと、早速のっけてもらってありがとうね~ もうあなたは立派な「宮城県人」でがすよ!ふるさとが元気になる日までいっしょにけっぱっていぐべっちゃ・・・
管理人 明子
2012年01月12日 22:38
>ずんだもちさん

いや~、そんなふうにおっしゃってもらって、お恥ずかしい…。

多分、心は宮城県へ、被災地へ、という方はたくさんおられるでしょうね。

昨日はみなさんのふるさと語りを聞かせていただき、ありがとうございました(^o^)

この記事へのトラックバック