先輩Kさんからのお便り
昼、ちょっと帰宅したら、大学の大先輩Kさんから、お便りが届いていました。
Kさんは以前佐賀市内に住んでおられ、私が帰郷して初めて参加した大学の校友会で知り合った方ですが、しんぶん赤旗の長い読者でもいらっしゃいました。
2期目をめざす選挙のときには、大手民間会社にお勤めの現役幹部さんだったと思いますが、後援会の一員として、なんと雨の中を合羽を着て奥さんと一緒に、ハンドマイクを載せた『大五郎車』(乳母車を改造したもの)をおして、私の街頭宣伝につきあってくださったり、と今考えてもものすごい支援をしてくださったのがKさんです。
やがて、会社の関係で転勤を重ねられ、いまは広島県内にお住まいなのですが、国政選挙の時には電話で共産党への支持をお願いしたり、年賀状などのおつきあいを続けてきました。
去年、お父様を亡くされたとのことで、年賀状の代わりに季節のお便りを差し上げていたところ、その『お返事』が届いた、というわけです。
それによると、3年前に定年前に退職なさっていて、「ようやく一昨年入党し党の一員となった」と書かれていました。「ああ、ついに」という嬉しさがこみあげてきました。実際、党員と同じかそれ以上に後援会員として協力していただいていたし、どこへ転勤なさっても必ずしんぶん赤旗をお読みになって、共産党の躍進を願いながら心配してくださっていた方でしたから。
残念ながらこの数年間身体をこわしておら
れ、今は一日4回の自宅での腹膜透析を日課とされているとのことですが、『体力的には十分な動きはできませんが、電話などで支持を広げているところです」と書かれていました。
2月3日告示の岩国市長選挙、投票日の10日には穀田恵二国対委員長を迎えての広島市での演説会を控え、その勝利と成功をめざす「決意を新たにしながらこの手紙を書いています」と優しく静かな書体の中にも凛とした決意が伝わるような、いいお便りを頂き、私も励まされました。
Kさんは「60の手習い」でようやくパソコンを始められ、先日、このブログにたどり着かれたそうですが、その後はうまくアクセスできないでいる、とのこと。さて、この記事をご覧になっているかしら・・・・・。
どうぞ、お体大切になさりつつ、Kさんらしいご活躍を、と願っております。
Kさんは以前佐賀市内に住んでおられ、私が帰郷して初めて参加した大学の校友会で知り合った方ですが、しんぶん赤旗の長い読者でもいらっしゃいました。
2期目をめざす選挙のときには、大手民間会社にお勤めの現役幹部さんだったと思いますが、後援会の一員として、なんと雨の中を合羽を着て奥さんと一緒に、ハンドマイクを載せた『大五郎車』(乳母車を改造したもの)をおして、私の街頭宣伝につきあってくださったり、と今考えてもものすごい支援をしてくださったのがKさんです。
やがて、会社の関係で転勤を重ねられ、いまは広島県内にお住まいなのですが、国政選挙の時には電話で共産党への支持をお願いしたり、年賀状などのおつきあいを続けてきました。
去年、お父様を亡くされたとのことで、年賀状の代わりに季節のお便りを差し上げていたところ、その『お返事』が届いた、というわけです。
それによると、3年前に定年前に退職なさっていて、「ようやく一昨年入党し党の一員となった」と書かれていました。「ああ、ついに」という嬉しさがこみあげてきました。実際、党員と同じかそれ以上に後援会員として協力していただいていたし、どこへ転勤なさっても必ずしんぶん赤旗をお読みになって、共産党の躍進を願いながら心配してくださっていた方でしたから。
残念ながらこの数年間身体をこわしておら
2月3日告示の岩国市長選挙、投票日の10日には穀田恵二国対委員長を迎えての広島市での演説会を控え、その勝利と成功をめざす「決意を新たにしながらこの手紙を書いています」と優しく静かな書体の中にも凛とした決意が伝わるような、いいお便りを頂き、私も励まされました。
Kさんは「60の手習い」でようやくパソコンを始められ、先日、このブログにたどり着かれたそうですが、その後はうまくアクセスできないでいる、とのこと。さて、この記事をご覧になっているかしら・・・・・。
どうぞ、お体大切になさりつつ、Kさんらしいご活躍を、と願っております。
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