昨日の安倍談話についての評価が各メディアでなされています。 当初、「侵略」「お詫び」をふくまぬ「安倍カラー」を打ち出そうと、「首相の談話」にしようとしていたようですが、国会の会期中でもあり、「閣議決定」とせざるをえなかったことや、なにより安保法案をめぐる国民の大きな反対世論のもとで、「侵略」「お詫び」「反省」などの言葉を入れざるを得なかったというのが、今の安倍政権の追い込まれぶりをあらわにしていると思います。 そこまで追い込んでいる国民の平和への願いと力が大きいことは、確信にしていいと思います。 それにしても、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話と読み比べてみると、長々と言辞を弄しているものの、「すっきりしない感」が漂っています。それは、安倍首相自身がいま進めている安保法案の成立を狙った動きであり、いかにごまかしても、これまで海外で武力行使できなかったことを「できるようにする」ということには変わりなく、その意味において、みずから述べている「事変、戦争、侵略、どれもだめ」のような一般的な言い方や、「よその国も植民地支配していたから日本もしかたなく追い込まれて・・・」のような他人ごとのような言い方が、まったく本心ではないという風に読み取れてしまいます。 つまり、安倍首相の画像がなくても、この談話を読んでいると安倍首相の姿が思い浮かび、その背景に、安保法案の強行成立や沖縄の人々を踏みにじる辺野古の基地建設の強行、武器輸出3原則を踏みにじって、国際的な兵器バザールに閣僚が乗り込むなどの姿が映り込んでくるのです。そうなると、もはや、この談話は「出しただけ」に過ぎないものに映ります。 過去の談話が1300字程度だったのが、今回は3000字を超えていると言われていますが、美辞麗句を散りばめていても、いやいや言わされている感満載で、気持ちが入っていないというのはこういう文章なのだな、という悪例のモデルになりそうです。 ◆安倍談話 全文 ⇒ http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html ◆戦後50年 村山談話 全文 ⇒ http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html ◆戦後60年 小泉談話 全文 ⇒ http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2005/08/15danwa.html |
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