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×第二迷信さんのコメントに触発されて、2県にまたがる島の存在をもう少し調べてみると、瀬戸内海の島々をはじめ、大詫間のような中州をいれると、なんだか沢山ありそうな気配がしてきました。 詳しくは、こんなサイトをごらんください→http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=362 さて、そうなると、これは訂正が必要なのではないかと思います。 以下は、川副町大詫間にある国指定重要文化財「山口家」の紹介パンフにある「大詫間島の歴史」の記述です。もちろん、山口家の責任ではなく、このパンフの発行責任は川副町と川副町教育委員会です。 山口家がある大詫間は、筑後川が有明海に流れる河口に松の大枝が流れ着き、その枝に上流からの土砂が堆積してできた三角州だと伝えられています。 元和9年(西暦1623年)には、鍋島茂勝が河口の洲に占有権を示す八大龍王の神祠を建てています。その後神祠を中心に干潟が成長して肥・筑の境界争いが起きましたが、正保元年(1644年)に和議が成立し、柴の枝に高良神社(久留米市)と千栗神社(佐賀県北茂安町=現みやき町)の神幣(しんぺい)を結んで流し、境界を決定しました。(松枝神社に伝わる「八大龍王社記」による。) その時、神幣(柴)が通った跡が今も「通り柴」の地名が残っていて、大詫間と大野島(福岡県大川市)の境界となっています。わが国には3千以上におよぶ大小の島がありますが、1つの島で2つの県にまたがっているのはこの島だけであり、近世まではそれぞれ佐賀藩、柳川藩に属していたこともあって、言語、生活習慣等が大いに異なっているという特徴があります。 対岸との交流は渡し舟(手漕ぎ船、のちにディーゼルエンジン)だけという時代が長くあり、早津江橋(昭26)、新田大橋(昭48)、川副大橋(昭58)の相次ぐ竣工で交通も便利になり、農・漁業の発展に伴って豊かな島に変貌しました。 全体的な話はいいとして、赤い字の部分だけは、事実と違うので表現を変えなくてはいけないと思います。 ただ、いろいろ見ていると、×第二迷信さまのご紹介による「石島」と「井島」も、岡山県側は人が住んでいますが、南の香川県側は無人のようですし、そのほかにも、無人島で県境というのが多いような感じです。 県境のどちらにも人が住んで生活している島というのは、それほど多くはないかもしれませんね。といいつつ中州だったら、やはり結構あるかも・・・・。 いずれしにろ、「全国で唯一の2県にまたがる島」ということではないようなので、どうしてこれまでこの記述が残されているのか、不思議なことです。だって、学校で地理の授業のときなんか、そういうことが話題になりそうだし、調べたらすぐわかりそうな話でもあるし、教育委員会だし・・・・と思ってしまいました。(なにしろ、何も知らずにこのパンフ読んで信じてしまった私ですから) |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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>わが国には3千以上におよぶ大小の島がありますが、 |
×第二迷信 2007/09/27 22:25 |
>×第二迷信さま |
管理人 明子 2007/09/27 22:33 |
暢気なのはどちら? |
暢気なパンフ? 2007/10/14 19:07 |
>暢気なパンフ?さん、はじめまして。 |
管理人 明子 2007/10/14 19:36 |
早速のお返事有難うございます。 |
暢気なパンフ? 2007/10/15 00:19 |
>暢気なパンフ?さま |
管理人 明子 2007/10/16 01:03 |
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